大人になっても夢を持ってよいということ - My Life After MIT Sloan
ブログを開いて初めての記事だが、
上のブログ記事を読んで感じたことがあったので書くことにした。
もしかすると、「夢を持っていい」ということを忘れているのかもしれない。それはずっとどこかで感じていた。「夢」に限らず、「自分の人生を幸せなものにしよう」という心意気は、ここ最近ずっと存在していない。それは社会的な風潮からか、自分の責任か、おそらく両方だろうと思うが。
>一度、自分が本当にやりたいことを一度思い描いてみたらどうだろうか
とのことなので早速書き出して・・・みようとしたが出てこない。色々考えてはみたが、元を辿ればそれは全て「他人に認められるため」ということに行き着いてしまうのだ。
音楽をやりたい → 音楽をやっているカッコイイ俺を見てくれ
教師になりたい → 教師ができるぐらいまっとうな人間なんだ俺は
海外に移住したい → 「日本に比べて」、海外はいいぞ、日本の下々の者よ
経済的に裕福になりたい → 俺は豊かなんだ、お前らに比べて
みたいな。
そういう欲求は誰にでもある、というのは重々承知である。でもそんな自分が嫌なのである。そしてそんな嫌な自分を受け入れようと日々生活している。以前やっていたブログやMixiやTwiiterは、そんな自分が垣間見えるのが嫌で辞めた。なのにまたこのブログを始めてしまったのはその欲求がどれだけ深いかがよく分かる。受け入れようとしている。
上のブログ主が言わんとするのは、「本当の自分の欲求」に素直になろうということだろうと思っている。そしてそのような自己啓発本は腐るほど読んだ。でも、その「本当の自分の欲求」が一体なんなのかさっぱりなのだ。昔から、他人本位で生きてきたツケだろうとは思う。純粋な自分の気持ちってどこにあるのだろう?どれなんだろう?さっぱり分からない。若者が「自分探し」するのはそんなとこからなのではないか。他人に認められることが自分の真の欲求なんだ、と妄信して生きられれば楽なのだが。
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- 2011/11/15(火) 00:41:32|
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