ニートを「レイブル」呼称変更 大阪府が提唱、どう変わる?無職で就職活動中の人のことをニートと呼ばないでということだ。印象の問題だろうが、ふと思った。「ニート」という言葉が数年前出てきたとき、「そんなカッコイイ名前をつけるな」という話が出ていた。ただのプータローだろうが、と。でもいつのまにか「ニート」といえば、自分で「僕ニートです」とは冗談でも言いづらい風潮になっていたことに気付いた。結構すぐ印象って変わるんだな。と思った。
- 2012/01/15(日) 16:43:28|
- お金・職について
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先日、とある人と話をする機会があった。その人は簡単に言えば「成功者」であり、「お金持ち」だった。それに加えて名誉も手に入れていた。
弱い人が多いから成功するのは簡単だ、と言っていた。バイタリティがあるおじさまだな、と感じた。君ぐらいの歳なら何でもできる、と言われた。若い人は情報はこれだけ仕入れることができる環境にあるのに、やろうとしない。もちろん失敗もするが、これだけ可能性があるのに、という旨の話をしていた。没頭することが大事だ、と。
今読んだあなたは、何を感じただろうか。今までの僕なら、この後何を書くかと言うと、「それは分かってるんだが」「成功した人は皆そういう」「成功できる保証はない」とか言うんだろうか。
ここで僕(のような人間)がすることは一つだ。
とりあえず、その言葉を噛みしめるだけだ。
そんな熱いコトバをかけられても冷え切って動かない俺の心、そんな心に、噛みしめるように。言葉を。
- 2012/01/15(日) 02:07:15|
- お金・職について
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか -現代ビジネス
本当にそうだ。反省。僕もそういうブログを書いていた。批判して呪う。やめよう。気付かせてくれてありがとうございます。自分が知らず知らず(おそらく心底では知っていたのだろうけど)中毒になっていたことに気付いた。
自意識こじらせてる者とすれば、こういう反省すらも承認欲求のひとつなのかもね。でもちょっとこの記事は身につまされた感じがした。
- 2012/01/11(水) 18:53:47|
- 心について
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
人は他者に認められたい人間である。これを心底否定する人はいないだろう。なんとなくだけど、これまでは「俺はやっぱり他人に認められたいよ」と言葉に出すことは恥ずかしいという風潮があったと思う。最近僕は人にそのように伝えることが多い。そうすると相手の返答は「まぁそれは人間なら誰しもあるでしょう」という返答がほとんどだ。人間の行動の源泉とも言える。マズローの欲求段階説かなんかでも、きちんと挙げられている。
僕みたいな自意識過剰な人間がここでこじらせているのは、「承認欲求が全然満たされていない」という状態の自分を客観視し、そんな自分を恥ずかしいと思ってしまうということだ。いや、「思う」というと違う。恥ずかしい、汚らわしい、目を伏せたくなる。そんな「感情」を抱いてしまうということだ。誰しも承認欲求を持っていることは「頭では分かる」。今でも。でも、なぜか心の奥底、感情の部分ではやはり卑しい目で見ているのだ。これは一体どうしたことか。
色々本を読んでいたりすると、親の影響だというのがもっぱら行き着く論だ。長い期間の刷り込み、習慣によるものだと。そこで親のせいにすれば楽になるのは確かだ。楽にはなるが、「承認欲求を持つことが恥ずかしいという感情」は消えはしない。根本からは楽にならない。だから無限ループなのだ。
すごく感じるのは、先に書いた「俺は他人に認められたい」と言葉に出すということ、このことは結構人間の根本の問題だということ。だから他人とこのことについて話しても、どうしてもうわべだけの会話になる。どんなに議論を深めても、結局自分の右脳と左脳、自分の理屈と感情が折り合うことでしか解決とか議論が深まることはないのだと思う。これこそが「悟り」のひとつだと思う。折り合ってる人はそんなノイローゼ的にはなんないんだろうけど。
- 2012/01/03(火) 18:56:41|
- 心について
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
いつの間にか大晦日である。
年越しをどこでだれと迎えるか、というのは結構、今の自分の現状を表している気がする。今年の僕はと言えば昨日遅くまで仕事で、今日はどん兵衛を食べながら酒を飲んでガキ使と紅白をザッピングしながら部屋でひとり過ごしている。
普段も孤独なのは変わらないのだが、寂しさが募るごとに、都度居酒屋へ行ったり、お姉ちゃんのいる店に行ったりして、孤独を紛らわして過ごしている。でも、大晦日はなぜかそんな店に行く気は起こらない。そもそもとして、12月31日に働かなくても、という気持ちがあるので、わざわざ行く気になれない。他人の邪魔はできない、と感じてしまう。だから今日はひとりだ。
普段暮らしている家族と過ごす人が多いのだろうが、僕のような一人暮らし男はどうしてるのだろうか。彼女と過ごしているだろうか。実家に帰っているだろうか。友達と過ごしているだろうか。はたまた仕事をして年越しを迎えるだろうか。
そういえば去年の大晦日は失業中で、日雇いバイトをしながら年越しを迎えた。どっちが幸せなんだろうか。
来年も、幸せに向かって生きていきたい。
- 2011/12/31(土) 23:29:32|
- 幸せについて
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0